数学的な本質の理解
本質を理解するためには数学的な考え方が役に立つ。
あくまで私の場合の話なのだが、他にもそう感じておられる方もいるのではないか。
例えば複雑な社会、会社の仕組みなどは、いったん細かく分け、
単純な要素にしてそこから理解していく事がある。
それは、要は因数分解なのだ。またはフーリエ変換なのだ。
私は数学が好きだ。
何故なら、このようにして、物事を分かりやすくしていくための
手段になってきているからだ。
学生時代は得意な方で、だから普通に好きだった。
ただ、どちらかと言えば物理のほうが好きだった。
しかし社会に出てからその状況が一変する。
高専(高校~短大)で習う物理学は基本的に、
製造業へ務めた私の環境ではほとんど無意味だった。
その点、数学(的な考え方)は役に立った。
新しいコミュニティや仕組みを理解するために、数学的な解法を使った。
特に役に立ったと思うのは、先ほど上げた因数分解の考え方だ。
大きな問題や考え方をある程度の要素に分け、そこから理解していく。
最近、YouTubeで数学教育の動画を見ており、その中でフーリエ変換をみて
ああ、私が思っていたのは因数分解よりもフーリエ変換の方だったかな、とも思おもった。
複雑な物事を別の側面から観測して本質を切り分けていく、そんなイメージだ。
そうして分解した本質に対して問題を提起したりソリューションを与えたりする。
そうして私はいろいろな仕事や課題を理解し、観察して、解決していった。
人間の感情を引力を持つ三角関数的な点でイメージしたこともある。
人の感情には波があり、それは時間だけでなく互いの距離感や一方的な感情で
引き合わさったり、共有したり、時にははじき出されたりして行くようなものだと。
他にも努力の価値は積分的だとか、物事の進展は微分で見極めれるなど、
いろんなモノコトに数学を適用していった。
あたらずとも遠からずだったりして、けっこう面白いのだ。
常識、という言葉にも適応したこともある。
基本的に常識という言葉が嫌いなのだが、親や親類、当時の先生は
「普通」や「常識」という表現を好む。その嫌いな正体は何なのかと思ったのだ。
まずは常識という概念をイメージに起こす。
それは各個の点の集まりの中心を指すのではないか。
最初のイメージは2次元的でいわゆる正規分布のような山なりの物だった。
中心という言葉をイメージに与える。つまり山なりの平均値だ。
次に標準偏差の概念を導入する。
偏差値50±5をいわゆる常識というなら、私の感じる正規分布の様子は
かなり、山なりが緩い形状だ。
親や親戚の、いわゆる団塊の世代では、この正規分布がもっと急な山なりで
そういった固定概念が強いのではないか、そのギャップが苦手なのではないか。
というように思考している。
どうだろうか、結果はけして確実なものではないが、あたらずも遠からずな気がしないだろうか。
また、解析、理解していく構造はまさに因数分解やフーリエ変換の考え方で、
その道程も面白く感じないだろうか。
そうやって、習ったことを少しでも応用して、生活の役に立てたり、指針にしてみたりして
私は日々を過ごしている。
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